◆□◆市民参加と廃棄物処理・資源化計画◆□◆

講師:米村 洋一氏 (多摩大学総合研究所客員主任研究員)

日時:1998年5月16日

場所:早稲田大学

 

[1]市民参加とは

 計画段階と参加の種類には構想提案、構想策定、計画段階、実施段階への参加がある。また参加のレベルは5つある。レベル1は情報提供、レベル2は意見聴取、レベル3は意見の反映となる。ここまでは結果の責任は行政にある。さらにレベル4として、意見交換、共同作業、レベル5は市民主導(チェック機能)となる。ここまでくると、結果の責任は行政に留まらず共同の責任となる。

[2] 参加の手法

参加の手法としては次のようなものがある。

a.広報など各種情報提供メディア

b.シンポジウム、フォーラム

c.ワークショップ

d.社会実験

e.これまでの参加の一般形

※計画段階では情報提供意見聴取、実施段階では動員型参加(企画・計画は行政)

[3] 市民参加の課題

課題としては、次のようなものが挙げられる。

a.情報公開のしくみ

b.参加のしくみ

c.参加主体の形成:NPO、NGO

d.行政の意識改革、制度改革

[4] 東村山の事例

1.経過

平成7年度:秋水園再生計画懇談会

      広域化の説明→計画の白紙撤回

平成8年度:秋水園再生計画策定協議会

      167回の検討会

平成9年度:秋水園再生計画推進市民協議会

      テーマごとの計画の検討、専門家による作業とのジョイント、社会実験の実施

2.基本精神:どこの地域へも、地域にも迷惑をかけない東村山を目指す

 理念1・・・「脱焼却・脱埋め立て」による資源循環型のまちを目指す

 理念2・・・秋水園を生まれ変わらせる

 理念3・・・市民参加の経緯とエネルギーを継続・発展させる

3.今後の課題

a.受け皿の確保

  コンポスト:花と野菜の会

  プラスチック:鉄鋼連盟との話し合い→自治体連携で

  古紙類:グリーン購入(調達)のしくみづくりと事業の具体化

  スラグ:建材、土木資材としての利用開発

b.市民全体の合意形成・参加・役割分担のしくみ

  議会、審議会との関係

  啓発・広報のしくみ・手法:とんぼ風だより、フォーラム、実験、公共資源化、民間資源化

c.計画実施に至るまでの推進・チェック体制

  ISO14001の方法論

d.制度の壁の突破

  厚生省、東京都の指導とのギャップ

  廃棄物処理法の壁

  資金調達の方策(厚生省の補助金対象外)→他省庁の事業の可能性、PFIの可能性

 

◆□◆『5年後資源化率の50%』の提案◆□◆

講師:青木 泰氏(ごみ問題五市連絡会)

日時:1998年6月6日

場所:多摩交流センター会議室

 

[1] ごみゼロ計画でごみ問題克服の動きをつくる

 ごみ減量を行政といっしょに考えていったらどうだろうかとずっと考えてきた。

 東村山市では3年前から秋水園再生計画策定市民協議会で議論して、10年後に90%資源化の基本方針を決めた。計画だけが一人歩きして有名になっているが、実態としてはこれからであり、立派な方針と現状との違いとして生ごみの堆肥化があげられる。現在は一つの市営住宅と一つの戸建の自治会で取り組んでいるという程度である。現在の市の資源化率は三多摩で中位につける程度である。よい計画が決まっても必ずしも実行できない。市民協議会で決まっても、市のごみ審(廃棄物減量等推進審議会)や市議会の了解をとらないとクリアーになっていかない。その方向へ引っ張っていく行政マンがいない。そういう意味では、市民・行政・企業が一緒にとことん討論会でごみゼロでいく基本方針を決められれば行政の動きも違ってくるのではないだろうか。今度のとことん討論会がそういうきっかけになればと思う。

[2] 柳泉園代替案づくりで発見したこと

 私たちは柳泉園の建替え計画に対する反対を4年くらい行ってきた。ごみは燃やさない。こういうやり方をすればごみは減っていくし、資源化できるという代替案をまとめた。(第一次まとめ、96年10月、第二次まとめ96年11月)その過程で、なんだこの程度のこともやってこなかったのかという発見がいろいろとあった。

1.4市の資源化率の違い

1995年度の可燃ごみの資源化率の4市比較は以下のとおり。

・清瀬市 20.36%

・保谷市 15.5%

・田無市 12.88%

・東久留米市 19.6%

どこが違ってこんなに差が出るのか問題

 民間の集団回収が違う。清瀬市と東久留米市では資源化の半分近くが民間の集団回収である。

 実は柳泉園の計画では10年後に達成する資源化率が20%であった。清瀬市は95年度にすでに達成している。柳泉園との話し合いでその内容が30%に修正された。

 集団回収量の違いは、集団回収団体への行政からの補助金である。清瀬市・東久留米市では1kg当たり10円の補助が出る(売上分とは別に)。保谷市・田無市では8円/kgが上限で、売上分との差額だけが補助される(最近、上限が8円から6円に下げられた)。

2.行政の政策でごみの量は大きく変わる

 清瀬市では93年度以降ごみの量が減っているが、これは民間資源回収への支援策と資源物が混じったごみを回収しないでペナルティーシールを貼る施策などの行政の姿勢が大きく影響している。また、ごみの収集回数を減らすとごみ量は減る。東村山市でも可燃ごみの回収を週3回から週2回へ減らした結果、ごみ量が15%減っている。

3.5年間で50%減量の提案

 そういう発見をしながら、とりあえず第一次まとめの試案を作成した。それが第一次のまとめのP22にあるごみ減量化計画である。4市合計で5年後紙類は107トン/日から58.3トン/日へ、生ごみは52トン/日から30.1トン/日へ、そして合計で250トン/日を13.9トン/日へ44.4%の減量をするというものである。

 次に第二次まとめでは、各市の市民団体間でお互いに批評しあい、すり合わせをして結論として5年間で50%減らすということで数値をそろえた。各市の現状の資源化率が違うために、具体的にどんな段取りで、どうやっていけば第二次まとめP6の「政策への提案」が実現するかが次の課題である。

[3]取り組むべき課題:紙、生ごみ

 まず、何を第一に取り組むべき対象とするか?ごみの組成を乾ベースで考えると紙ごみが一番多い。湿ベースでは生ごみ(44%)である。どちらで考えるかでごみ減量は大きく変わる。

1.生ごみ循環の流れをつくる

 生ごみについては、できた堆肥を受け入れてくれる農家がないと行き詰まってしまうこと、一方、農家からすると、ごみを大切な農地に入れられるのかということなどから難しいが、どこかで切り開かないと前に進まない。東村山市は緑地、公園に土壌改良剤としてまく方向で流れをつくろうとしている。その流れが定着した後、農家へ持っていって使ってもらう。そういう段どりで考えられている。

[4]市民参加でプログラムをつくる

 要するに先進市の秘密を分析して、それを各市が行っていく。情報を開示して議論していく場をつくるということ。行政が市民の知恵を生かしたシステムをつくる。ごみを燃やさないで、資源化していく方法として東村山市での議論も出ている。知恵を出しあって工夫していけば、ごみゼロは不可能ではない。問題は市民参加のプログラムをどうやってつくるかということである。

1.8市の「収集・ごみ事情」データを共有する。

 ごみゼロ計画について、8市がスタートラインにつくために、まず各市の「収集・ごみ事情」に関するデータを各市に出してもらいたい(田無市、保谷市、清瀬市、東久留米市については第二次まとめP4に表示)。それに資源化率の状況(第二次まとめP3の図3)と、各市の抱えている問題や資源化率が比較的高い市はどのような理由があるのかなど、とにかくデータを出してもらって新しいことを発見していこう。それを集めて減量化のためのソフトをつくりたいと考えている。(文責:高梨孝輔)

 

◆□◆田無市北原都営住宅110世帯の生ごみ堆肥化実験見学会◆□◆

講師:矢口 利雄(田無市役所清掃課長)・宮崎(北原2丁目都営住宅自治会長)他2名の役員の方・斉藤 親男(住重機械工業梶j

日時:1998年8月7日

場所:北原都営住宅敷地内および谷戸公民館

 

[1]田無住重での取り組み

 田無住重では社内の調理給食(600食)の残30〜40kgを機械で粉砕・乾燥し、45,000坪の敷地内の雑木林(内1,400坪は発想の森として市民に開放されている)や花壇の土に入れている。生ごみの堆肥化機械(@バイオ発酵型A乾燥型B消滅型)の特徴は、バイオ発酵型は月1回ぐらいの菌たいの監視が必要であるが、乾燥型はそのメンテナンスの必要がないという点があげられる。機械本体は約220万円、設置場所面積は約一坪、電気・排水等の付帯設備は約15万円であり、1回50kg投入6〜7時間で乾燥終了し生成物は会社が引き取り、埼玉県の肥飼料問屋で牛豚鶏糞・コーヒーかす・豆腐かすを混ぜ、有機堆肥として市販されている。また飼料ようの原料としても使われている。

 戦後、化学肥料の利便性に慣れた農家にとって有機堆肥をつくる技術と労力、その堆肥をまく労力等が問題であるが、近年、堆肥をまく機械が開発され農家で使われ始めている。有機堆肥は化学肥料の5倍以上入れなければならないが、化学肥料の影響による連鎖障害や農家の健康障害等の問題があり、化学肥料から有機堆肥へ切り替える農家もわずかながら増えてきている。(以上、斉藤さんのお話より)

[2]生ごみ処理の実験

 生ごみ処理の実験経過については、田無市・自治会・住重より詳しい資料を入手した。

 この実験以前の「燃えるごみ」の量は350kg/日であったが、実験開始後は約70kgが減り、この2割減は生ゴミ回収によるものと住民のごみ意識の向上によるものと考えられる。

1.乾燥による減量は約80%

 田無市では芝久保小学校で給食の堆肥化を環境教育の一環として採用し、その生成物は構内の学校農園で使っている。各地で芽生えている生ごみの有機資源としての肥飼料化の試みを効率よくネットワークし、各地域の知恵を出しあって土を基盤とした循環型社会をつくっていきたいと思う。

2.感想

 懇談会での自治会役員の方の発言─「まさか退職後ごみのことをやるなんて考えてもいなかったが、今はごみ処理というよりも循環型社会の一端をになっているという実感が生きがいになっている」が印象的であった。21世紀は老人力の発揮の場の一つとして「ごみ問題」がとりあげられる時代かもしれません。(文責:宮崎啓子)

 

◆□◆有機栽培農地見学とシステムづくりフォーラムin赤城昭和村◆□◆

講師:須田 政弘(日本電気梶j・澤浦 彰治((有)野菜くらぶ)・鶴見 城二(「じゅんかん農法」を進める会)

日時:1998年9月4日

場所:群馬県利根郡昭和村赤城原 (有)野菜クラブ会議室

 

[1]見学会の経緯

 97年度「生ごみ学習フォーラム」のまとめとなる予定であった「NEC相模原事業所の社員食堂から出る生ごみリサイクル見学会」が諸事情により中止になったことを受け、NEC担当者と市民連邦の会員である「じゅんかん農法をすすめる会」の鶴見さんから下記のような呼びかけがあり、NEC社員食堂の乾燥「生ごみ」を受け入れている群馬県赤城山麓有機農家30世帯との交流会に参加した。

[2]交流と学習

 見学会当日は関越自動車道の昭和インター(98年3月完成)を出したところにある村の農産物直売所「旬菜館」に12:30集合。まず採れたての野菜(新鮮、安い!)を各々が山ほど購入。はじめて見るめずらしい野菜の食べ方も地元の方に教わった。有機農業者の会「野菜クラブ」の方々の案内でレタス畑を見学し、「野菜クラブ」の会議室で学習フォーラムが開催された。

 都市部の生ごみを乾燥して有機栽培を実施する農家に届ける。→有機栽培農家が各々の土地・栽培植物に適した堆肥を作り作物を育てる。→健康な作物が都市生活者に届く。

 この循環の輪を作りあげていくために私たちは完全分別生ごみの出し手として、また有機野菜の積極的な消費者として循環システムを作りあげていきたいと思っている。(文責:宮崎啓子)

 

◆□◆「エコメッセを語る」◆□◆

講師:Erhard Schuiz(BUNDドイツ環境自然保護連盟バーデンヴェルデンベルク州団体事務局長)

通訳:今泉 みね子(国際環境ジャーナリスト、フライブルク在住)

日時:1999年2月6日

場所:吉祥寺情報センター会議室

 

 上記フォーラムを開催した。

 BUNDの歴史とエコメッセの経緯などについてシュルツ氏から講演いただき、引き続き、シュルツ氏の参加者との間で質疑応答を行った。

 今泉さんの逐語訳を明細にわたってで「エコメッセを語る」として取りまとめた。

 

◆□◆北多摩ルールづくり◆□◆

講師:小池 久米雄(野村興産褐レ問)・大島 照雄(野村興産葛ニ務部次長)・池添 吉則(野村興産葛ニ務部営業課長代理)

日時:1999年3月16日

場所:小平市中央公民館

 

[1]北多摩ルールづくりの経緯

 北多摩8市(清瀬市・小平市・田無市・東久留米市・東村山市・東大和市・保谷市・武蔵村山市)の後援を得て、8市の市民・行政の連携プレイで行われた98年度第6回TAMAとことん討議会「北多摩とことん」は、その成果に基づき、次のアピールを採択した。

 北多摩8市には、3つの中間処理施設─柳泉園(東久留米・清瀬・保谷・田無)、小村大(小平・武蔵村山・東大和)、秋水園(東村山)─があるが、分別・収集方法、資源化方式等、同じ処理施設管内でもまちまちであったり、各々様々な問題を抱えている。その上、容器包装リサイクル法、家電リサイクル法等新たな対応が迫られている。8市の行政・市民協働による「北多摩とことん」の連係プレイを持続しアピール(2)「北多摩ルールの確立を目指し、できることから始めよう」の具体化に取りかかった。最初に取り上げるテーマを「電池」に絞り、寄本代表の取りはからいで、野村興産鰍ゥら講師をお招きして学習フォーラムを行った。